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平野真美「変身物語 METAMORPHOSES」

平野真美 | Mami HIRANO
Metamorphoses_Resin skeleton
2024 年、C プリント
29.7 x 42 cm
平野真美 | Mami HIRANO
Metamorphoses
2024年、紙に鉛筆
20 x 20 cm

Maki Fine Arts では、11 月 30 日(土)より 2025 年 1 月 12 日(日)まで、平野真美 個展「変身物語 METAMORPHOSES」を開催いたします。Maki Fine Arts では 2 回目の個展になります。

架空の生物であるユニコーンを実在化し、骨格・内臓・筋肉・皮膚などを精巧に作り込んだ「蘇生するユニコーン」(2014 年~)は現在進行形で継続する、平野の代表的なプロジェクトでありますが、それと同等に「変身物語」(2018 年~)も、平野のライフワークとしてのプロジェクトといえます。

亡くなった愛犬の遺骨が納められた骨壺を CT スキャンし、3D プリンタで出力した遺骨を硝子や陶磁に作品化した「変身物語」は、喪失した存在をいかに現実世界に留めておくのか、その永遠化の試みを実践したものです。パート・ド・ドヴェールという古代メソポタミア発祥のガラス工芸テクニックを用いて(またはセラミックにより)、遺骨の一部を蘇らせます。丹念な作業によって「変身」を遂げたその姿は、深い闇の中から照らし出されたように、神々しく、記憶のモニュメントとして立ち現れます。

本展では、2018 年から続くプロジェクトに、新たなにプロセスが加わり、拡張した「変身物語」を発表いたします。遺骨のレントゲン写真に加え、頭蓋骨を描いたドローイングや、3D プリンタ出力の樹脂製の骨のパーツを構成し、一体の犬の姿を象った写真作品などが新作として展示されます。「変身物語」という作品タイトルは、古代ローマの詩人オウィディウスの同名の著書より引用されました。同著書、冒頭のラテン語テキストを題材とした新作も展示します。是非ご覧ください。

5 年間の闘病の末 2015 年に亡くなった愛犬の遺骨は、火葬の後に納骨せず、未だ実家の居間に置いてある。火葬の時、家族と触れたあの小さく美しい遺骨をもう一度見たいが、骨壷の中には辛くも幸せだったあの時間の空気が詰まっているようで、その蓋を開けることはできなかった。開けてしまえば、あの時間を失って二度と戻れないだろう。
私は 2018 年のある日、骨壷が入った骨箱ごと CT スキャンを撮ることにした。スキャンデータを元に遺骨の3Dデータを作成し、3Dプリンタで出力する。出力した樹脂製の遺骨を型取りし、様々な素材に変身させる。例えば硝子に、例えば陶磁に。その記憶も何もかも、死を境に失うものばかりだった死者に纏わる一切が、これを機に増幅していく。様々な素材に触れ美しさをそのままに変容する姿を見て、私は私自身の変化も受容できるように思えた。

現代の葬制は死を日常生活から遠ざけ、やがて死者は社会に実在しなくなった。重い墓石のなか、骨壺のなかに覆い隠された死者を、私の葬法で繰り返し変身させ、私は死者を失わない。その変身の過程を見せる物語である。 — 平野真美



平野真美 | Mami HIRANO
1989 年 岐阜県出身。2014 年 東京藝術大学大学院美術研究科修士課程先端藝術表現専攻修了。
闘病する愛犬や、架空の生物であるユニコーンなど、対象とする生物の骨や内臓、筋肉や皮膚など構成するあらゆる要素を忠実に制作することで、実在・非実在生物の生体構築、生命の保存、または蘇生に関する作品制作を行う。不在と死、保存と制作、認知と存在に関する思索を深め、現代の私たちはいかにそれらと向き合うのかを問いかける。
近年の主な展示として、「南飛騨 Art Discovery」(2024 年)、「都市にひそむミエナイモノ」(2023-24年 / SusHi Tech Square)、個展「架空のテクスチャー」(2023 年 / WHITEHOUSE ナオナカムラ)、個展「空想のレッスン」(2023 年 / Maki Fine Arts)、「ab-sence/ac-cept 不在の観測」(2021 年 / 岐阜県美術館)、個展「変身物語METAMORPHOSES」(2021年 / 3331 Arts Chiyoda)、「2018年のフランケンシュタイン バイオアートにみる芸術と科学と社会のいま」(2018年 / EYE OF GYRE)など。


佐藤克久「空っぱ」

Maki Fine Artsでは、9月14日(土)より10月13日(日)まで、佐藤克久の新作による個展「空っぱ」を開催いたします。Maki Fine Artsでは初の個展になります。

佐藤の作品は、絵画という制度、形式を題材として、色彩と形態の関係性を探求してきました。遊び心や、ユーモアが織り込まれた作品は軽やかでありながら、その内側に隠されたパラドックスより、絵画の在り様に対して、示唆を与えるものとして存在します。

本展での新作は、ステイニング(滲み込み)により描かれ、パースがついた矩形が同じかたちに反復し、その一部が重なり合っています。重なったエリアがその2色の混色であり、シンプルな構成によるもので、その作品は「誰にでもできそうな絵画」と、佐藤自身が語ります。「自らの立ち位置を理解し、思想や多くの知識を作品に詰め込むことを目指しながら、結局はそれらを全てすっかり忘れたときに傑作ができるのではないか」と語る佐藤の逆説の定理は、作品タイトルの「うわのそら」に示されています。
自律的な形態による画面の緊張感、筆致の変化による豊かなバリエーション、並列された作品のボリュームが生み出す色彩の律動を体感することができるでしょう。是非ご高覧ください。

佐藤克久 | Katsuhisa SATO
1973年 広島生まれ。1999年 愛知県立芸術大学大学院美術研究科油画専攻修了。近年の主な展示として、「末永史尚 佐藤克久|エラー」(2024年/ THE POOL)、「穴あきの風景」(2024年/ MtK Contemporary Art)、個展「あけっぴろげ」(2023年/ See Saw gallery+hibit)、個展「とりもなおさず」(2023年/ SHINBI GALLERY)、「Insight 28 “hang”」(2023年/ Yoshimi Arts)、「コレクション 小さきもの─宇宙/猫」(2023年/ 豊田市美術館)、「SHOUONJI ART PROJECT 28th 佐藤克久 うらおもて」(2021年/ 照恩寺)ほか多数。名古屋造形大学准教授。国立国際美術館、豊田市美術館に作品が収蔵されている。

Abstractions – ある地点より –
豊嶋康子 | 佐藤克久 | 末永史尚 | 益永梢子

豊嶋康子 | Yasuko TOYOSHIMA
地動説_2020 カーヌン
2020年
木材、自然塗料、ステンレスボルト・ナット、平ワッシャー
17.5 x 17.5 x 4.9 cm

豊嶋康子 | Yasuko TOYOSHIMA
日常社会の制度や仕組みを批評的に捉え、人間の思考の「型」を見出すことをテーマとして、作品を発表している。

1967年埼玉生まれ。1993年東京芸術大学大学院美術研究科油画専攻修士課程修了。近年の主な展示として、個展「発生法─天地左右の裏表」(2023-24 年 / 東京都現代美術館)、「Group Show – 豊嶋康子 | 荻野僚介 | 伊藤誠」(2023-24 年 / Maki Fine Arts)、個展「収納装置」(2021年 / M 画廊)、個展「交流_2021」(2021年 / ガレリア フィナルテ)、「Public Device -彫刻の象徴性と恒久性」(2020年 / 東京藝術大学大学美術館)など。

佐藤克久 | Katsuhisa SATO
つらつら
2019年
キャンバスに油彩
65.2 x 53 cm

佐藤克久 | Katsuhisa SATO
絵画という制度・形式を題材として、ユーモアを交えながら、色彩と形態の関係性を探求している。

1973年 広島生まれ。1999年愛知県立芸術大学大学院美術研究科油画専攻修了。近年の主な展示として、個展「あけっぴろげ」(2023 年 / See Saw gallery+hibit)、個展「とりもなおさず」(2023年 / SHINBI GALLERY)、「Insight 28 “hang”」(2023年 / Yoshimi Arts)、「コレクション 小さきもの─宇宙/猫」(2023年 / 豊田市美術館)、「SHOUONJI ART PROJECT 28th 佐藤克久 うらおもて」(2021年 / 照恩寺)など。

末永史尚 | Fuminao SUENAGA
Search Results
2024年
パネル、綿布に顔料、アクリル絵具
42 x 69.5 cm

末永史尚 | Fuminao SUENAGA
日常見ているものや展示空間に関わるものからピックアップした視覚的トピックをもとに絵画・立体作品を制作している。

1974年山口生まれ。1999年東京造形大学造形学部美術学科美術 I 類卒業。近年の主な展覧会として、「うつす展」(2024年 / BOOK AND SONS)、「Textural Synthesis」(2024年 / 三越コンテンポラリー)、個展「軽い絵」(2024年 / Maki Fine Arts)、「へいは展」(2023年 / 代田橋納戸/ギャラリーDEN5) 、「Group Show – 白川昌生 | 末永史尚 | 城田圭介 | 加納俊輔 | ショーン・ミクカ」(2022年 / Maki Fine Arts)など。

益永梢子 | Shoko MASUNAGA
session4
2023年
木製パネル、キャンバス、アクリル絵の具、鉛筆
72.5 x 40 x 2 cm

益永梢子 | Shoko MASUNAGA
絵画を起点として、多様な手法により制作。周囲の環境・空間との関係性を重視する作品群は可変的で置換可能な性質を持つ。

1980年 大阪生まれ。2001年 成安造形短期大学造形芸術科卒業。近年の主な展示として、「MEMORIES」(2023年 / CADAN 有楽町)、「Ginza Curator’s Room #005 天使のとまり木」(2023年 / 思文閣銀座)、個展「その先の続き」(2023年/ Maki Fine Arts)、個展「editing」(2022年 / nidi gallery)、個展「replace」(2021年 / LOKO Gallery)など。



Abstractions – ある地点より – 豊嶋康子 | 佐藤克久 | 末永史尚 | 益永梢子
会期:2024年8月6日(火) – 8月25日(日)
会場:CADAN有楽町 / 東京都千代田区丸の内3-1-1国際ビル1階
営業時間:火−金 11時−19時 / 土、日、祝 11時−17時
休業日:8月13日(火)、8月19日(月)
オープニングレセプション:8月6日(火) 18:00-20:00
クロージングパーティー:8月25日(日) 15:00-17:00 *出展作家が参加いたします
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パターンと距離
伊藤誠 | 益永梢子 | 佐々木耕太 | 長田奈緒 | 堀田ゆうか

伊藤誠 | Makoto Ito
青空
2017年
亜鉛鉄板、油彩
60 x 72 x 3 cm

伊藤誠 | Makoto Ito
様々な素材を用いた立体作品は、フォーマルでありながら軽やかでユーモアがあり、同時代の彫刻の可能性を体現しています。
「青空」(2017年制作) は、ある地点から見える遠景をモチーフに、至近距離で触れるものとして表現した作品の一つです。この作品は、遠くに見える送電線に取り付けられている鳥害防止器具を写真撮影したものをモチーフとしています。実際の風景の縮図を、彫刻として変換された場合の距離の尺度が表出されます。「青空」に加え、新作も発表予定です。

1955年愛知生まれ。武蔵野美術大学大学院 造形研究科彫刻コース修了。近年の主な展示として、個展(2024年 / ガレリア フィナルテ)、「第Ⅰ期 コレクターズ・アイ1  90年代を中心に」(2024年 / 豊橋市美術館)、「Group Show – 豊嶋康子 | 荻野僚介 | 伊藤誠」(2023-24年 / Maki Fine Arts)、「DOMANI・明日展 2022–23」(2022-23年 / 国立新美術館)、「heliotrope(ヘリオトロープ)」(2022年 / 照恩寺)、「オムニスカルプチャーズ—彫刻となる場所」(2021年/ 武蔵野美術大学美術館)など。


益永梢子 | Shoko Masunaga
Session1
2023年
木製パネル、キャンバス、アクリル絵の具、鉛筆
38.5 x 46 cm

益永梢子 | Shoko Masunaga
絵画を起点として、多様な手法により制作。周囲の環境・空間との関係性を重視する作品群は可変的で置換可能な性質を持ちます。
「Session」(2023年制作)は、いくつかのシェイプト・キャンバスによる組み合わせにより形成されています。隣り合う作品と呼応するかのように、色彩や線、パターンが柔らかに繋がり合い、豊かな関係を紡いでいく造形によるものです。

1980年 大阪生まれ。2001年 成安造形短期大学造形芸術科卒業。近年の主な展示として、「MEMORIES」(2023年 / CADAN有楽町)、「Ginza Curator’s Room #005天使のとまり木」(2023年 / 思文閣銀座)、個展「その先の続き」(2023年/ Maki Fine Arts)、個展「editing」(2022年/nidi gallery)、個展「replace」(2021年/LOKO Gallery)、グループ展「Ordinary objects」(2020年/Maki Fine Arts)、個展「Box, Box, Box」(2019年/Cooler Gallery)、「クリテリオム93 益永梢子」(2018年/水戸芸術館現代美術ギャラリー)など。



佐々木耕太 | Kota Sasaki
Untitled
2024年
キャンバスに油彩
33.3 x 24.2 cm

佐々木耕太 | Kota Sasaki
3DCGを用いて、アトリエやギャラリー等の空間を描くなど、2Dと3Dを交差するペインティング作品を制作。
「Untitled」は、絵具の厚みでできた画面の上から、ストライプのパターンを描いた作品です。パターン(2次元)を、凹凸に形成された支持体(3次元)へと描き込まれ、見る角度により視覚的な揺らぎが生まれます。イメージが圧縮されたようなイリュージョンを画面に与え、「見ること」を意識されられます。

1982年千葉県生まれ。2012年 東京造形大学造形学部美術学科絵画専攻卒業。近年の主な展覧会として、「Textural Synthesis」(2024年 / 三越コンテンポラリー)、「メディウムとディメンション:Liminal」(2022年 / 柿の木荘)、「佐々木耕太 花木彰太 aai oua」(2022年 / See Saw gallery+hibit) 、個展「Cut and Paste」(2021年 / LOOP HOLE)、「Trace」(2020年 / CAVE-AYUMI GALLERY )、「佐々木耕太+中尾拓哉Some or Same」(2019年 /アートラボはしもと)、「ignore your perspective 47 Pop-up Dimension 次元が壊れて漂う物体」(2018年 / 児玉画廊)、個展「Model」(2018年 / CAVE-AYUMIGALLERY)など。


長田奈緒 | Nao Osada
Surface Preparation (Sandpaper 3M)
2024年
シルクスクリーン、真鍮
各 6.0 x 4.5 x 2.0 cm

長田奈緒 | Nao Osada
身近にあるものの表面の要素を、シルクスクリーンを用いて、実際とは異なる素材の表面に刷った作品を制作。
紙やすりを題材とした「Surface Preparation (Sandpaper 3M)」は、その表面と裏面のイメージが同型の真鍮に刷られており、2つの作品が重なり合う構造になっています。長田の作品は、日常で廃棄されていく些細なものに「はかなさ」を見出し、繊細で詩的な存在へと昇華させていきます。鑑賞者にささやかな気付きを促し、その現実観を揺らがしていきます。

1988年生まれ。2016年東京芸術大学大学院美術研究科修士課程修了。近年の主な展示として、「VOCA展2024」(2024年 / 上野の森美術館)、個展「目前を見回す」(2023年 / Maki Fine Arts)、個展「紙を持つ手は紙」(2023年 / ギャラリーそうめい堂)、「日本国憲法展」(2023年/無人島プロダクション)、「メディウムとディメンション Liminal」(2022年/柿の木荘)、個展「少なくとも一つの」(2022年/Maki Fine Arts)、「感性の遊び場」(2022年/ANB Tokyo)、個展「I see…」(2022年/NADiff Window Gallery)など。



堀田ゆうか | Yuka Hotta
C-144
2024年
アクリル、鉛筆、ジェッソ、木製パネル
29.7 x 21 x 2 cm

堀田ゆうか | Yuka Hotta
絵画を起点とし、ドローイングやインスタレーションを軸に制作。近作では版表現を作品に組み込むなど、様々なメディアを介したドローイングも試みています。
「C」と名付けられた作品シリーズは、身体的感覚によって描かれた手探りの行為の痕跡です。自由自在で開放的なストロークは、生気を伴った感覚を頼りに描かれ、呼吸を感じされるようなイメージが表出されています。

1999年 愛知県生まれ。現在、東京藝術大学大学院 美術研究科絵画専攻在籍。近年の主な展覧会として、「act. Inframince」(2024年 / OGUMAG)、「a hue and cry. 」(2024年 / アートかビーフンか白厨)、「バグスクール:うごかしてみる!」(2023年 / BUG)、個展「からです」(2023年 / APどのう)、個展「pppractice」(2023年 / フラットリバーギャラリー)、個展「ない関節」(2023年、亀戸アートセンター)、「うららか絵画祭」(2023年 / The 5th Floor)など。


城田圭介「波と海」

Maki Fine Artsでは、5月25日(土)より6月23日(日)まで、城田圭介の新作による個展「波と海」を開催いたします。城田の作品は、写真の周囲に拡張するイメージを描き加えることにより、視覚の外側にあるもの(記憶の不確実さ)を可視化し、「見ること」についての意味を意識させます。写真の周囲のイメージは、写真に写っている情報を頼りに油彩で描き出されていますが、画面上の所々に見られるイメージのズレや余白が、断片的に途切れたような記憶の曖昧さを感じさせられます。あえてそのような痕跡を残しながら、複数の写真からイメージを繋ぎ合わせ、全体へと集約させるように描かれ帰結されます。
Maki Fine Artsでの3回目の個展となる本展では、海辺の風景を描いた新作を発表いたします。美術作品の普遍的なモチーフである海は、城田にとっても身近で日常的なものであり、必然的に選ばれた題材です。是非ご高覧ください。



波と海

海のある街に移住して八年が過ぎる。とりたてて海のレジャーに興じているわけではないが、海辺を歩き、眺め、子供達と過ごし、海の景色は日常の一場面になった。もちろんいいことばかりではない。海に包囲された地震大国のこの国で、海の近くに住むリスクもそれなりに理解している。海の恩恵もリスクも感じながら、一方、海を題材にした数多の絵画や写真、アートが海を見るたびに脳裏をよぎる。新しくもないありふれたテーマであることは承知しているが、自分も海を題材にした制作を行うことは避けられないように思えた。
制作はいつもランダムに撮りためた凡庸な写真を見返すところからはじまるが、ひとつの題材に絞って撮影するのは今回が初めてだ。展示作品に使った写真は二千枚を超える中から選んだが、選ばれなかった写真はもとより「撮られなかった写真」の数はその比ではない。それに付随する「描かれなかった絵画」も同様に。波のように終わりなく現れては消え去る選外の存在なしには、ここにある作品はなかったはずだ。

城田圭介

城田圭介 | Keisuke Shirota
1975 年神奈川県生まれ。2003年東京藝術大学大学院美術研究科デザイン専攻修了。近年の主な展覧会として、「親子で感じる横須賀 子育てから生まれた作品」(2023年/ヨコスカアートセンター)、「Beyond the Frame 城田圭介×那須佐和子」(2023年/ haco -art brewing gallery- /うららか絵画祭)、「かくれんぼ—さがして。そして、」(2022年/茅ヶ崎市美術館)、個展「Out of the frame」(2022年/Maki Fine Arts)、個展「Over」(2021年/Maki Fine Arts)、個展「写真はもとより PAINT, SEEING PHOTOS」(2019年-2020年/茅ヶ崎市美術館)など。

アレックス・ダッジ 「A Way With Words」

Maki Fine Artsでは、4月6日(土)より5月12日(日)まで、アレックス・ダッジの新作による個展 A Way With Words を開催いたします。Maki Fine Artsでは3回目の個展で、2021年以来、約2年半ぶりになります。本展覧会は2部構成になり、Maki Fine Artsでの展覧会をPart 1、銀座蔦屋書店 GINZA ATRIUMでの展覧会をPart IIとして開催致します。

20年間にわたり、アレックス・ダッジは革新的な技術とプロセスによって、絵画という行為を再定義し続けてきました。さまざまなソフトウェアとコンピューターコードを駆使することにより、その作品はヴァーチャルとフィジカルの世界を横断します。さまざまな版画のテクニックからインスピレーションを得た独自のアプローチで、レーザーやその他のCNC加工よりカットされたステンシルを使用し、油絵の具の厚い層で、イメージをキャンバスに変換しています。ダッジの作品は、高度なデジタルツールと、伝統的技術とメディアを使った丹念な手仕事の融合によるものです。その技術的なプロセスに反映されているのは、テクノロジーそのものと、それが人間の経験をどのように再定義し続けるかという、長年にわたるテーマです。

本展覧会の新作は、言語とAIの接続性を総合的なテーマとしています。近未来、そして遠い未来を予感し、深く思索しながらも、作品はユーモアと軽快さを交えた遊び心に満ちています。

A Way With Words

パート1: Maki Fine Arts(4月6日 – 5月12日)
パート2: GINZA SIX 銀座 蔦屋書店 GINZA ATRIUM(4月26日 – 5月15日)

人間の経験は、ある本質的な矛盾を孕んでいる。私たちの最も深い感情や洞察は、しばしば言葉で表現しがたく、言語の手の届かないところにある。それにもかかわらず、このデジタル時代においては、言語、特にテキストが、私たちをつなぐ不可欠な手段となっているのだ。

言語は拡張可能で共有可能な仮想空間を人々に提供する主要な技術である。印刷された本、歌詞、コンパイルされたコードなどは、どれもその例だ。しかし、言語には限界もある。言語のみでは実現不可能な方法で人間の経験を拡張することを可能にするのが、たとえば絵画といった視覚的形式との融合だ。今回の展覧会では、アレックス・ダッジは自身の作品における確立されたテキストの使用方法を拡張し、独自のユーモアと形式的な遊びを活かしながら、言語が持つ命題性、手続き性、詩性、視覚性、触覚性などの様々な側面を探究している。ダッジは「A Way With Words」において、その表現力を称えると同時に、しばしば滑稽なまでの不十分さをも露わにする方法でテキストを扱っているのである。

今回の展覧会は、私たちの文明が言語とともに新たな未知の領域に踏み出そうとするこの時代に開催される。ChatGPTやGeminiなどのツールに見られるように、計算力、統計モデリング、アルゴリズム処理の進歩は、テキストとの関わり方に革命的な変化をもたらした。本来、視覚的処理のために開発された​​GPU(画像処理装置)が、いまやニューラルネットワークや大規模言語モデルを駆動し、私たちの言語世界を抜本的に改変している皮肉な状況だ。この技術的飛躍は、西洋の哲学・言語学の伝統において、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインや言語学者のエドワード・サピア/ベンジャミン・ウォーフらが展開した議論を改めて呼び起こすものである。現実を定義し形作る上で言語が果たす中心的役割という彼らの議論の主題は、私たちがテキストとAIを融合して人間の経験を生成するにつれ、新たな意義を獲得しつつある。一方、東洋思想、特に仏教と道教では、言語は「現実を理解するための限定的な手段」として位置付けられている。仏教における座禅や道教における無為自然の追求に見られるように、言語を超越したより深い直接的な現実理解に到達することを目指しているのだ。銀座 蔦屋書店のGINZA ATRIUMは、書籍という形で言語を讃える聖域だ。本展の第二章にとって、まさにふさわしい会場と言えるだろう。

ダッジの絵画は、こうした哲学的論争を視覚的に表現したものである。歌詞や詩からの一節がふわふわした布製の枕のような文字へと姿を変え、幾何学的にタイリングされた空間に佇みながら、人体を思わせる存在感を醸し出している。数値的かつ計算論的にシミュレートされたこの空間は、(気怠げでぐにゃぐにゃして不完全な枕という姿をとった)言語が住まう理想的世界の表象なのだ。アルゴリズムによって生成された空間の完璧さと、ダッジの作品に描かれる有機的で自由奔放かつ不完全なものとしての言語との対比は、実に鮮烈だ。

本展では、新しい技術が芸術表現をどのように再定義するかを考察する。写真の登場によって絵画が解放され、新たな次元への挑戦が始まったように、テキストとAIの融合はこれまでにない芸術の地平を切り拓き、創作に刺激を与えている。ダッジの20年にわたる作品は、こうした探究の証であり、バーチャルシステムと絵画の交差点を検証し続けてきた。

「A Way With Words」展は、鑑賞者を言語、テクノロジー、視覚的形式の間の繊細な相互作用についての考察に誘う。ダッジはユーモアや遊び心、思慮深い探究心を織り交ぜながら、鑑賞者にこれらのテーマに向き合うことを促し、私たちと言語、そして言語が描写しようとする現実との間にある、複雑で絶え間なく変化する関係を映し出す鏡を差し出しているのだ。

アレックス・ダッジ

アレックス・ダッジ | Alex Dodge
1977 年アメリカ合衆国コロラド州デンバー生まれ、現在ブルックリン(ニューヨーク)と東京を拠点に活動している。
近年の主な展示として、個展「Daemon-Haunted World」(2023年/ Klaus von Nichtssagend Gallery)、個展「Personal Day」(2023年 / BB&M)、個展「Laundry Day : It all comes out in the Wash」(2021年/ Maki Fine Arts)、「Programmed: Rules,Codes, and Choreographies in Art, 1965-2018」(2018-19 年 / ホイットニー美術館)など。ニューヨーク近代美術館、ホイットニー美術館、メトロポリタン美術館、ボストン美術館などに作品が収蔵されている。



パート1 :
アレックス・ダッジ A Way With Words
2024年4月6日(土) – 5月12日(日)
Maki Fine Arts
東京都新宿区天神町77-5 ラスティックビルB101
水曜 – 土曜 12:00 – 19:00 / 日曜 12:00 – 17:00
定休日 月曜・火曜

パート2 :
アレックス・ダッジ A Way With Words
2024年4月26日(金) – 5月15日(水)
銀座蔦屋書店 GINZA ATRIUM
東京都中央区銀座6丁目10-1 GINZA SIX 6F
営業時間 11:00 – 20:00
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末永史尚「軽い絵」

Maki Fine Artsでは2月17日(土)より3月17日(日)まで、末永史尚 個展「軽い絵」を開催します。Maki Fine Artsではおよそ3年半ぶり、5回目の個展となります。

「軽さ」の一撃――末永史尚「軽い絵」展について
森啓輔(千葉市美術館学芸員)

 手製の正方形のキャンバスを縦横に8、16、32マスずつ正方形に分割し、それぞれに彩色された末永史尚の絵画は、幾何学的かつ抽象的でありながら、何かしら固有の図像を鑑賞者に伝えている。これらの絵画制作について、作家本人が「ドット絵」に触れ、制作過程でのiPadの使用に言及しているように、本展「軽い絵」の出品作は、その解像度がたとえ「低い」ものと認識されるとしても、テクノロジーやデジタルデバイスとの相関性を確かに有している。ゆえに、会場に並べられたそれらは、壺のような赤い容器、花、人々の集まり、爆発(!)と、特定の世代にはコンピューターゲームの懐かしい一場面を想起させ、ある種の感傷を引き起こすかもしれない。
 このiPadを用いた新たな展開は、例えばコロナ禍以前に発表されていた、インターネット上での20世紀のモダン・マスターらの作品画像の検索結果の画面を描いた〈サーチリザルト〉といった先行するシリーズとの関連が指摘できる。そして、これまでモチーフとして選ばれてきた付箋や水平器、タトウ箱といった作家の身の回りにある日用品や、絵画の額縁などの目の前に実際にある対象、つまり現実世界の再現=表象(representation)が絵画制作を通じて行われてきたことを踏まえるならば、本展の作品群での身体性を喚起させる細部の塗りの揺らぎもまた、作家によって認識されたディスプレイの発光を含む絵画化として、理解することが可能だろう。
 このように、現実にある対象の絵画化=事物化を命題とする末永の制作理念は、抽象化の過程で行使される還元、圧縮、置換、反復といった変換にまつわる操作ゆえに、必然的に現実と近似する「シミュラークル」の様相を帯びている*。これまで作品と絵画の制度の近接性が示されてきたことからも、本作もまたドット絵の「擬態」として、システム自体のハックの志向を読み取るべきだろう。換言するならば、末永の絵画は、そのあからさまな顕われに対し、諸コードの記号的な運用においてこそ、その存在が担保されているということだ。だから、正方形の形態を単位とし、非線形的な組み合わせとなる64、256、1024マスの色面で複雑に構成された本作は、当然のことながら、過去の多くの絵画―ゲルハルト・リヒターの〈カラー・チャート〉や、本展「軽い絵」のタイトルに間接的に影響を与えたパウル・クレーのグリッドに接近した抽象絵画など―を召喚し、それらとの接続可能性を鑑賞者に惹起させる。
 とはいえ、それぞれの作品との視覚的類似性を、過剰な記号の戯れとして消費することは、末永の絵画に潜勢する戦略の高次性を、かえって減じさせかねないともいえる。例えば、リヒターが1966年に始めた〈カラー・チャート〉へのマルセル・デュシャンによる「レディメイド」の参照、あるいは61年に西ドイツに移り、強い影響を受けたポップ・アートに、末永の主体を留保した即物的な物体であろうとする絵画、さらには、初期の活動でロイ・リキテンスタインに関心を持ち、印刷物というメディアへの接近を端緒とした近年のデジタルデバイスまでの連続性をはじめ、それら連綿と継続されてきた個としての絵画と美術史に刻まれた数々の絵画は、張り巡らされた関係性の網目の細かさこそが見つめられなければならない。
 20世紀の終わりから現在までの末永の実践は、四半世紀を経過しようとしている。日常生活に、複数のメディアが強固に結び付き、それら複雑な情報環境が全面的に展開されていく現実世界の事物化が目論まれたその制作手法は、社会と不分離であるがゆえに、活動開始当初に、色濃く時代を覆っていたポストモダンという症候をもまた背負い続けてきたように思われる。本展のタイトルで明示された「軽さ」とは、末永の作品全てに通底する特性であった。そのような情報の均質化=平板化や、質量の簒奪の帰結である「軽さ」や「小ささ」といった、グローバリズムが蔓延していく時代と並行する戦略については、より詳細にその意義と可能性が検証されてしかるべきだろう。本作品群において、ミニマルな正方形の集合が、他者の絵画作品の数々のみならず、過去の自作との連関を可能とする操作であるように、近年に顕著にみられるこのアーカイヴァルな性質は、作品を理解するためのことさら重要なピースであるに違いない。少なくとも、私にとってそれらの「軽い絵」は記号として読み解くことを要請しながら、本稿で指摘したように平面としてのその顕れにおいて、安易な消費を拒む複雑な豊かさを逆説的に与えるのであり、作品を宿命付けた時代が重ねてきた歴史の重さと等価な、作家の信念ともいえる一撃、あるいは一刺しの凄まじさを感じさせる。

*「シミュラークル」とは、フランスの哲学者ジャン・ボードリヤールによって提唱された概念。消費社会を複製された記号が覆い尽くすことによって、現実世界そのものが記号化され、旧来の事物に対する認識が変容していく文化現象を指す。

 紛争のニュースの中で目にする乗り物兵器に、不謹慎と理解しながらも格好良さを見出している自分を認めてしまう。その感覚の根っこの一つに幼い頃からのビデオゲームの経験があったかもしれない、と思ったことが契機となっている。
 描かれたイメージはゲームから引用したものもあるし、デジタルドローイングをiPadのピクセル描画アプリでピクセル化したものもある。また、ゲームから引用したイメージを改変したものもある。
 元のイメージがいずれであっても、ドット絵のデジタル下絵を表示したiPadを側に置いて見ながら写している。ディスプレイの発光して見える色と顔料とメディウムが混ざって見える色は受像のあり方が異なるので、置き換えと関係の再構築がここで行われる。手と筆で塗られるため色と色との境目はぶれやズレ、微妙なはみ出しをつくりだす。また、平たく塗られているように見えるが、筆の震えや圧の痕跡は残っている。いくつかの要因が複合して、元絵にほぼ忠実なのだけど捉え所が異なる、控えめに抽象的なイメージがそこに固まっていく。

末永史尚

末永史尚|Fuminao Suenaga
1974 年山口生まれ。1999 年東京造形大学造形学部美術学科美術 I 類卒業。これまでの主な展示として、個展「エントランス・ギャラリー vol.3 末永史尚 覚え、ないまぜ」(2021年/千葉市美術館1階 ミュージアムショップBATICA、エントランススペース)、個展「ピクチャーフレーム」(2020年/Maki Fine Arts)、「アートセンターをひらく (第 I 期 第II期)」(2019 -2020年/ 水戸芸術館 現代美術ギャラリー)、「百年の編み手たち – 流動する日本の近現代美術 – 」(2019 年/東京都現代美術館)、「MOTコレクション ただいま / はじめまして」(2019年/東京都現代美術館)、個展「サーチリザルト」(2018 年/ Maki Fine Arts)、「引込線 2017」(2017年/ 旧所沢市立第2学校給食センター)、「APMoA Project, ARCH vol. 11 末永史尚「ミュージアムピース」(2014 年 / 愛知県美術館展示室 6)、「開館 40 周年記念 1974 第 1部 1974 年に生まれて」(2014 年 / 群馬県立近代美術館)など。

Group Show – 豊嶋康子 | 荻野僚介 | 伊藤誠

Maki Fine Artsでは12月16日(土)より2024年2月4日(日)まで、3名の作家によるグループショーを開催いたします。新作、および近作を展示いたします。是非ご覧ください。

豊嶋康子|Yasuko Toyoshima
1967年埼玉生まれ。東京芸術大学大学院 美術研究科油画専攻修士課程修了。日常社会の制度や仕組みを批評的に捉え、人間の思考の「型」を見出すことをテーマとして、作品を発表している。
近年の主な展示に、個展「発生法─天地左右の裏表」(2023-2024年 / 東京都現代美術館)、「Public Device -彫刻の象徴性と恒久性」(2020年 / 東京藝術大学大学美術館)、「話しているのは誰? 現代美術に潜む文学」(2019年 / 国立新美術館)など。東京都現代美術館に作品が収蔵されている。

荻野僚介 | Ryosuke Ogino
1970年埼玉生まれ。明治大学政治経済学部卒業、Bゼミスクーリングシステム修了。 色彩と形態の関係性を考察しながら、主に色面を用いた絵画作品の制作を行っている。
近年の主な展示に、「日本国憲法」(2023年/ 青山|目黒)、「heliotrope(ヘリオトロープ)」(2022年 / 照恩寺)、個展「造形言語」(2021年 / See Saw gallery+hibit)など。東京都現代美術館に作品が収蔵されている。

伊藤誠|Makoto Ito
1955年愛知生まれ。武蔵野美術大学大学院 造形研究科彫刻コース修了。様々な素材を用いた立体作品は、軽やかでユーモアがあり、同時代の彫刻の可能性を模索している。
近年の主な展示に、「DOMANI・明日展 2022–23」(2022-23年 / 国立新美術館)、「heliotrope(ヘリオトロープ)」(2022年 / 照恩寺)、「オムニスカルプチャーズ—彫刻となる場所」(2021年/ 武蔵野美術大学美術館)など。東京国立近代美術館、愛知県美術館などに作品が収蔵されている。

加納俊輔「Combined City」

Maki Fine Artsでは、11月4日(土)より12月3日(日)まで、加納俊輔の個展「Combined City」を開催します。Maki Fine Artsでは7回目、約2年半ぶりの個展になります。加納の作品は、写真を通じて、画面に複数の階層を作ることで、「見ること」への感覚を問い直します。写真を複数回撮影して多次元のレイヤーを作り、画面を圧縮する「layer of my labor」や、印画紙を透過させ、表と裏を同時に見ることを実現化した「Pink Shadow」など、ものの前後関係や奥行きが曖昧になるような、イリュージョンを生み出す作品を発表してきました。

今回の個展で発表する新シリーズ「Combined City」は、これまでとはアプローチが異なり、写真によるコラージュに近いものです。ひとつの対象を異なる視点から撮影し、画面上で複数の写真を組み合わせる手法で制作されています。対象を複数の視点から同時に見ることを具体化した「Combined City」は、加納が北九州市に旅した際に見た光景が、アイデアの原点になりました。人口規模の大きい5つの市が同等に統合した北九州市は、歴史的にも稀な合併とされ、小が大に編入されるのでなく、均一のものが複数共存する、「合体都市」としてのイメージが作品に繋がっています。画面を横断し、交差する曲線は、地理的な境界線を想起させますが、隣り合うピースが分断されることなく、断続的に繋がり合いながら、新しい次元の風景を構成しています。

道になにかが落ちている。遠くにキラっと光るものを見つけ、近づいてよく見るとたんなる石で、なんとなく手に取って眺めてみて、また道に置いてその場から立ち去る。遠くから目を細めて見たり、近づいて凝視したり、ただ視界に入っているだけだったり、たんなる道端に落ちていた石に対しても、時間や距離の変化とともに複数の視線が存在する。

「Combined City」は、一つの対象に対して複数の視線で撮影された写真を解体し、それらを再構成することで複数の視線を同時に眺めることを試みている。

一つの対象に向かう複数の視線を統合すること、または一つの対象に向かうその時間を一気に圧縮することで立ち上がる状態を見てみたいと思う。

加納俊輔

加納俊輔 | Shunsuke Kano
1983年大阪生まれ。2010年 京都嵯峨芸術大学大学院芸術研究科修了。近年の主な個展に、「森を見て木に迷う」(2023年 / 千總ギャラリー)、「サンドウィッチの隙間」(2021-22年 / 京都市京セラ美術館 ザ・トライアングル)、個展「滝と関」(2021年/ Maki Fine Arts)、「圧縮トレーニング」(2021年 / clinic)など。THE COPY TRAVELERSのメンバーとしても活動。

長田奈緒「目前を見回す」

この度、Maki Fine Artsは新スペース(新宿区天神町77-5 ラスティックビルB101)に移転し、9月9日(土)より10月8日(日)まで、長田奈緒 個展「目前を見回す」を開催いたします。

シンプルな重なり
中尾拓哉(美術評論家/芸術学)

 対象aとbがある。aとbはともにイメージであるかもしれないし、ともに物体であるかもしれない。あるいは、aとbはそれぞれにイメージと物体、もしくは物体とイメージであるかもしれない。
 長田奈緒は、「すでにあるもの」の「イメージ」を――写真に写し、版に写し、素材に写し――複製する。素材となる「物体」もまた「すでにあるもの」である。「すでにあるもの」のイメージは塗膜となり、そしてその塗膜は支持体に写される。「イメージ」をa、「物体」をbとするならば、「b(すでにあるもの)→a(撮影した像)→b(塗膜)→b(支持体)」と移されていく。つまり「既存のイメージが支持体に転写される」という長田の作品の状態は、「塗膜」としての「(物体=イメージ+物体)」と「支持体」である「+物体」の組み合わせとなり、「(b=a+b)+b」となる。
 aである「イメージ」は「非在」、bである「物体」は「実在」である。ただし、長田の作品においては、モチーフとなる「すでにあるもの」、そのとある状態を撮影した写真、その写真の印刷、その印刷がなされる素材が既製品というように、「複製」が連続していることが重要なのだ。

a=イメージ[複製]
ほとんど誰も気にとめない差異において、二つのものが同一となり、それゆえに複製として認識されている。複製は同じであることにこそ価値を置くが、気にとめるか、とめないかは別として、必ず差異が発生する。陳列され、反復される同一のイメージは、所有によって一つの固有性を宿すものへと変わる。

b=物体[複製]
物体は「版」あるいは「型」によって、二次元、三次元に複製される。フィルムやデータ、およびシルクスクリーンの「版」は、紙や布、それ以外の素材へと印刷され、また素材は「型」によって複製物となる。ただし「版」と「型」による複製物は、ズレや個体差、すなわち染み、汚れ、皺、傷を含みもつ。

 これらは複製一般の、「イメージ」および「物体」についての記述である。長田の作品において、「すでにあるもの」および「既製品」の「イメージ」は「塗膜」として印刷(複製)され、同時に「すでにあるもの」および「既製品」の「物体」が「支持体」となる。そして、それらすべてが「すでにあるもの」の複製となるのであれば、「複製のイメージ=a」は塗膜として「複製の物体=b」となり、支持体となる「複製の物体=b」と二重に、、、重なる。長田はこの「(b=a+b)+b」という「(物体=イメージ+物体)+物体」のaとbすべてに複製を重ね、最終的に、それらが一つの「すでにあるもの」として認識される(ように見える)状態をつくり出している、ということになるのだ。
 ただし、大抵の場合、塗膜と支持体は一つとなっていない(例えば、ダンボールのイメージがダンボールの物体に重ねられることはない)。例外はあるにせよ、「イメージ」と「物体」は個別に複製であることを主張していることが多い。この複製の「イメージ」と複製の「物体」の重なりから派生する、別のフレームについて考える必要がある。

a’=イメージ[レディメイド]
レディメイドはアートワールドにおけるコンテクストが与えられ、解釈の広がりをもつ。マルセル・デュシャンがレディメイドの影を写真に写し、アンディ・ウォーホルがレディメイドのデザインを版に写し、ペーター・フィッシュリ&ダヴィッド・ヴァイスがレディメイドを本物と見分けられない別の素材に写したことが想起される。

b’=物体[レディメイド]
レディメイドはそれ自体が個別のメディウムとしての性質をもつ。チューブ絵具がキャンバスに載せられれば絵画になり、像が印画紙に転写されれば写真となるように、イメージは異なる支持体、すなわち紙、布、木、石、金属、アクリル、鏡、ガラス、窓、建築物の一部など、別のメディウムへと写されることによって作品化される。

 「すでにあるもの」としての「イメージ」と「物体」の重なりには、非芸術としての既製品「a+b」と、芸術としてのレディメイド「a’+b’」という視線が重なる。したがって、「(b=a+b)+b」という複製の重なりには、「既製品」であるA=非芸術と、「レディメイド」であるB=芸術を重ねる、「A{(b=a+b)+b}+B{(b’=a’+b’)+b’}」というフレームが潜在することになる。
 長田は対象aと対象bの「既製品/レディメイド」を選び、aを撮影し、bに印刷し、新たな「イメージ/物体」を創出する。そして、何よりも重要なのは、そのイメージが「既製品/レディメイド」として使用されながらも、廃棄されるもの、、、、、、、の方である、ということである。より正確には、その視線は廃棄されるものの痕跡、、に向けられているのだ。
 長田がイメージとして選んだ「すでにあるもの」のなかには、例えば既製品というコンテンツを「包む」、「支える」、あるいは「包んでいた」、「支えていた」ものとして、複製の周縁性をいっそう強調するものが散見される。そして、塗膜と支持体は、明確にそれぞれが異なるメディウムとして重ねられている。このとき、その痕跡のイメージは、A=非芸術であることを装いながら、選択されたメディウムを支持体にして写されたものという意味でB=芸術であるという様態をあらわにするのだ(メディウムの選択は恣意的であるが、実用性が剥奪されているという意味で、アートワールドにおける作品性が表れている)。こうして、染み、破れ、皺、傷などのあらゆる固有性は「痕跡=タッシュ(tache)」に重なる位置へと移されるのである。
 塗膜と支持体は「平面」で合わさっている。その「絵画=二次元」的な染み、汚れ、および「彫刻=三次元」的な皺、傷は、三次元化せずに二次元のまま、しかも三次元性をコピーした「絵画=二次元」的な「イリュージョン」として支持体に写される。このとき複製は模倣(ミメーシス)として、「痕跡/タッシュ」をもった「既製品/レディメイド」を写す、物体のイメージ化(二次元化)であり、別のメディウムに写されることによる「既製品/レディメイド」のイメージの物体化(三次元化)でもある。この作品化のプロセスが、絵画・彫刻的な「コンテンツ」を、包み、支え、そして廃棄されていく、日常(生活)と芸術(制作)のいずれにおいてもにある、中心ではなく周縁に「すでにあるもの」の「イメージ」と「物体」によってなされるのだ。だからこそ、非芸術=Aに「生活/制作」のサイクルという一つの日常を入れ子構造として取り込み、そのイメージ化、物体化をB=芸術に固定させず、A=非芸術へと返すことともなる。
 こうして長田の作品は、「既製品/レディメイド」の非芸術と芸術のフレーム、「A{(b=a+b)+b}+B{(b’=a’+b’)+b’}」の重なりの上で、非芸術と芸術を回転させる。A=非芸術である「痕跡」はB=芸術となり、B=芸術である「タッシュ」はA=非芸術となるように。「オリジナル」と「コピー」、あるいは「アウラ」と「非アウラ」の正位置となる「芸術作品としてのイメージの固有性」とそれを支える「複製としての支持体の複数性」が逆位置となるのである。すなわち、「B[A{(b=a+b)+b}+B{(b’=a’+b’)+b’}]+A[A{(b=a+b)+b}+B{(b’=a’+b’)+b’}]」となる。それは「複製としての支持体の複数性」に固有性を与え、「芸術作品としてのイメージの固有性」に複数性を与える、という状態の重なりとなるのだ。印刷のズレのように、既製品の個体差のように。対象aとbがある。そのシンプルな重なりにおいて。

長田奈緒 | Nao Osada
1988年生まれ。2016年東京芸術大学大学院美術研究科修士課程修了。身近にあるもの(例えばamazonのダンボール箱、Ziplocのフリーザーバッグなど)の表面の要素を、シルクスクリーンを用いて、実際とは異なる素材(木材やアクリル板など)の表面に刷った作品を制作。
近年の主な展示として、グループ展「日本国憲法展」(2023年/無人島プロダクション)、グループ展「メディウムとディメンション Liminal」(2022年/柿の木荘)、個展「少なくとも一つの」(2022年/Maki Fine Arts)、グループ展「感性の遊び場」(2022年/ANB Tokyo)、個展「I see…」(2022年/NADiff Window Gallery)など。