Exhibition

アレックス・ダッジ「情報のトラウマ」

2019年3月23日 - 5月5日

アレックス・ダッジ
The Trauma of Information (December 12, 2018)
2019年
oil on linen
56.5 x 76cm

Maki Fine Artsでは、3月23日(土)より、ニューヨークを拠点とするアーティスト、アレックス・ダッジの日本初となる個展「情報のトラウマ」を開催します。ニューヨークタイムズ誌をモチーフとした新作ペインティングを中心に発表します。

アレックス・ダッジは、先進的なデジタルツールとクラシカルな技法を融合させ、作品を制作しています。3Dモデリングを駆使し、設計された立体的イメージを基に、レーザーカットステンシルを用いたり、木版印刷などのテクニックを応用して、厚塗りの絵具の層による豊かなテクスチャーの画面を作り出します。ダッジが開発したユニークな制作スタイルは、伝統的な技法への強い関心と考察によるもので、例えば、日本の染色技術である「型染め」からヒントを得たといいます。ダッジの作品を通して、巧みに操作されたデジタルデータが伝統的なテクニックに変換され、既存のフォーマットを超えた新次元のペインティングへと進化していくプロセスを見出すことができるでしょう。

本展で展示する作品「情報のトラウマ」は、ダッジが東京に滞在した際の体験から生まれました。当時行われた2016年のアメリカ大統領選挙を、東京にいながら、ニュースメディアを通して情報が伝わる中で、大きなショックを受けたと語ります。「情報のトラウマ」は、現代のメディア全体の不確実性を暗示しているようでもあり、膨大な情報が日々消費され、更新される時代におけるメディア・リテラシーの考察という題材が取り入れられています。

アレックス・ダッジの日本初個展、是非ご高覧下さい。

アレックス・ダッジ / Alex Dodge
1977年アメリカ合衆国コロラド州デンバー生まれ、現在ブルックリン(ニューヨーク)在住。近年の主な展示に、グループ展「Programmed: Rules, Codes, and Choreographies in Art, 1965-2018」(ホイットニー美術館、ニューヨーク)、個展「Whisper in My Ear and Tell Me Softly」(Klaus von Nichtssagend、ニューヨーク)など。ニューヨーク近代美術館、ホイットニー美術館、メトロポリタン美術館、ボストン美術館などに作品が収蔵されている。

情報のトラウマ
アレックス・ダッジ

今回の作品の原点は、ある意味では日本にある。文化庁と日米友好基金の支援を得て、特別研究員として四カ月間日本に住んでいたことがある。小さなスタジオスペースを設けて作品制作をしているタイミングで2016年のアメリカ大統領選挙が行われた。同じく日本に滞在中のアメリカ人が、選挙の展開を目にして「まるで国際宇宙ステーションから核戦争が始まるのを見ているようだ」と言っているのを耳にした。自己破壊した地球が完全に抹消される様子を、危険
が届かない遠隔の地から眺めているようで、どうすることもできない完全な無力感を感じた。日本にはよき友が沢山いたが、母国に戻った時のことを考えると増してくる不安や悲しみについて腹を分って話せる仲間は少なかった。私にできることは、新しい政権の現実を把握しようとするニュースメディアが超高速に吐き出すニュースを、ただただ見たり読んだりすることだけだった。

ニューヨークに帰国後、慣れ親しんだブルックリンは灰色を帯び、重く、敗北感が漂っていた。憂鬱な雲に覆われた新しい現実の中、痛みを伴うと分かっていながらニュースを止めることはできず、まるで中毒者のようにニュースに夢中になった。急激かつとめどなく流れてくるニュースは、つい先ほど報道された大見出しよりもさらに切羽詰まったセンセーショナルな見出しで私たちの注意をひき、無力感は更に強化する。現在のメディアのペース、そしてことによるとその品質も、私たちが世界を体験する際の時間の遅れを引き起こしているのではいかと私は思う。日々消費される膨大な情報は、熟考した上での長期的な視野をもつ能力に影響を及ぼしている。私たちの記憶はもはや昔の面影はない。インターネットをアーカイブのように使えば、過去の出来事を引き出したり参考にしたりして現在と過去を見比べることができる。しかし、インターネットは動的な生命体のように有為転変しており、パーソナライズされたウェブ検索やソーシャルメディアの利用によって、私たちの近年の歴史の視野を遮ったり歪めることが多い。

今回の作品は、ニュースを凝固できる形でつかもうとしたもので、人工的素材を使って時間を静止することを目的としている。そんなつかの間の一瞬を、実際の新聞紙の複製という形態で捉えている。衰退の真っただ中にある新聞だが、完全には無くならないことへの願いも込めている。旧式のかたちではあるものの、私は紙の感触と活字のメディアがたまらなく好きだ。作品の新聞紙は、重ね塗りされた油性塗料で厚みを帯び、主に読み終わった後の状態で描写されている。放り投げられたり捨てられたり、頭の中に入った内容の記憶と共に、新聞紙はゴミやリサイクルに出される。骨の折れる複製作業を介して絵画は別の素材に変換され、はかなく一時的なものが、見落とすことができない固体化した人工物になった。木版印刷と手書き油絵具を使って、一つ一つ独特に作りあげられている。ところどころに見える活字の内容は不完全な文章であり、写真の多くはありふれた日常的な様子を映しているが、全体を観ると、まるで鏡のように私たちが現在住んでいるこの独特な時代を映し出してくれる。それはある時はグローバルな光景であり、ある時は深く個人的な光景である。

「情報のトラウマ」シリーズは、苦しみの最中にありながら私たちに苦痛をもたらす新聞メディアに敬意を表して制作された。情報のトラウマから生き残るには、見通せる力をもつしかない。ユーモアと皮肉から学ぶその能力は、痛みや悲しみを耐えられるものにしてくれるが、決して忘れさせてはくれない。