荻野僚介(-ness)

2018年5月11日 - 6月10日

オープニング・レセプション:5月11日(金)18:00 - 20:00

Maki Fine Artsでは、2018年5月11日(金)より、荻野僚介 個展(-ness)を開催致します。

荻野僚介は1970年埼玉県生まれ。「色彩」と「形態」をテーマに、均質に塗られた色面による絵画作品を制作しています。1993年明治大学政治経済学部卒業、1998年Bゼミスクーリングシステム修了。近年の主な展覧会として、「ハロー」(Gallery&cafe see-saw、2016年)、「個点々」(switch point、 2015年)、グループ展「ペインティングの現在 -4人の平面作品から-」(川越市立美術館、2015年)など。Maki Fine Artsでは初の個展、是非ご高覧ください。

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秩序の感覚
林 卓行(はやし・たかゆき|美術批評/東京藝術大学准教授)

 現在、さしあたりできあがった作品のよしあしのことをかんがえるのでなければ、どんなものを描こうとそれでひとまず絵画にはなる。すでに1890年にはモーリス・ドニが記していたように、いまやわたしたちはたえずタブロー=絵画について、「それは軍馬や、裸婦や、なにかの挿話であるよりもまえに、本質的には、ある秩序のもとに集められた色彩で覆われた、一枚の平面であることを思い出さなければならない」。
 とはいえこれは画家にとっては恐ろしいというか、すくなくともやりにくい状況をつくりだす。ドニによる絵画の定義は、平面上に色斑さえあれば絵画になるからどんなものを描いてもよいというような、描くことの自由を説く命法では終わらない。なにを描いてもよい、どうせ絵にはなるのだからとひとたび口にしてしまえば、むしろ自由の底は抜け、なにかを絵として描く根拠は見失われてしまう。だからこそドニは、「ある秩序のもとに集められた」と留保をつけることを忘れなかったのだし、その行儀のよさを嫌ったのだろう、ドニ以降の画家や絵画について語る者たちは、「秩序」を廃して新たに「根拠」となるものをうち建てることに躍起になった。絵画はキャンヴァスの外形や支持体の組成から導き出されるとしたり、心理や神秘を可視化するととらえたり、あるいは一群の社会的な問題に即応する、と言ってみたり。
 これに対して荻野は、根拠を求めず秩序の水準にとどまることを選ぶ。まずその絵画をまえにして、わたしたちがほとんどあっけにとられるのは、彼が「なにを描いてもよい」というドニの命法を額面どおりに受け止め、なんの根拠も持つことも求めることもないままに描き進め、そして最後にはひとつの絵画をみごとにものにしてしまうからだ。画業を通覧するとわかるが、具象から抽象まで、重量計からカリグラフィーを思わせるやわらかな描線を経て、濃色の色面と蛍光色の線条のせめぎあうようすまで、つぎつぎとそこに描かれてゆくものたちの狂騒的なまでの多様性、あるいは無根拠性は、もしそれに気づくことができたなら、わたしたちをぞくりとさせるに十分なものである。
 荻野の作品を特徴づける、職人芸的に消去された筆触や、画面サイズの記述がそのまま作品タイトルになるという奇妙な命名法は、このざわめきをおちつかせ、彼の作品群に一定の様式的な統一を与える効果を持つ。しかしそれはある種のダメ押しのようにして、最後にやってくるものであることに注意しよう。「秩序」がそのまえにくる。荻野の作品にあって色面の境界はいつでも明快であり、それは境界の水準だけでなく判明な地と図の区分となってもあらわれ、さらにそのとき図として配される形態は、画面中央やそこをやや下った、視線のごくとどまりやすい場所に落ち着いて、画面を構造的に安定させる。意表をつく形状の変形キャンヴァスや、キャンヴァス側面に配される棒状の色面も、おおくは画中のほかの要素との均衡を保ちながら用いられている。高圧的とも言える「秩序」の感覚が、描かれる個々の色彩や形態の底なしの自由を覆っている。そこから聴こえてくる不穏なざわめきに、わたしたちはいつも耳を傾けてしまう。

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